
いますし、交友も広がっているようです。
今では、大型車や乗用車は勿論のこと、各種バイクまで免許をとり、休みには、聴覚障害の皆さんを、マイクロバスで九州一円の見どころを計画をたてて連れまわったりして喜ばれているようです。学校では、理容科を選択いたしました。やはり、こうした進路については、相談にのるという形で、ある程度の親のイニシアティブが必要だと思います。障害をもつ子に限らず普通の多くの子供たちも、そうした形での親の指導は必要なことだと思います。
職業の選択は、その子供のもっている特質で、いろいろ考えさせなくてはなりませんし、客観的な視点も必要ですから、どうしても親の力も大切になると思います。
長男に理容を選ばせたのは、朗らかな性格であること、手先が器用であると自他ともに認めていることなどから、多くの人々と接触できる仕事がよいだろうと考えました。本人もよく理解したようで、すんなりと決まりました。
理容師の資格も何とかとれまして、卒業と同時に求められるまま横浜の理容店に就職、そこで七年余りの修行をして鹿児島に帰りました。この七年間は本人にとって、いろいろな技術を身につける基盤となったようです。
昭和六十三年十二月十七日、この記念すべき日は理容店開店の日でした。本人の名前が「龍太郎」で、しかも年末にはなりましたが、この年は「龍」の年。店名も「ヘアーサロンリュウ」と命名。二重の縁起を担いでの気持ちよいスタートを切りました。
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